殉職教師に勲一等旭日章

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殉職教師に勲一等旭日章

極右軍事政党執行部はこのほど児童を助けようとして自らも亡くなった殉職教師らに勲一等旭日章を贈呈する事になった。


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                勲一等旭日章

 貴殿は、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災による津波で自身が受け持つ児童を助けようと最後まで努力をし殉職されました。この貴殿の教職者としての自覚、責任感溢れる行動は他の多くの教職に携わる方々の範とするものであります。
 よってここに貴殿のその命を懸け職を全うした行為に対し勲一党旭日章を贈呈し表彰します。どうか安らかに永眠ください。

 平成二十三年四月十三日
 宮城県石巻市立大川小学校 名も無き教師殿

 極右軍事政党日極会 
  よーめん総統

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石巻市立大川小学校
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玄関ホールの屋上に津波が持って来たと思われる漂流物があるのが分かる。 ここまで津波が来たのだ。(撮影:よーめん親衛隊)




石巻・大川小の悲劇、被災時の詳細明らかに (読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110409-OYT1T00462.htm

東日本大震災で全校児童108人のうち7割が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小で、被災時の状況が目撃者の証言などから明らかになった。

 児童は集団で高台へ避難する途中、すぐそばを流れる北上川からあふれた津波にのみ込まれた。当時の様子が知りたいという保護者の要望に応えて学校側は9日夜、説明の場を設ける。

          ◇河口から4キロ◇

 大川小は東北最大の大河、北上川右岸の釜谷地区にあり、太平洋に北上川が注ぐ追波湾の河口から4キロ上流に位置する。同県教委によると大川小の児童は56人が死亡、18人が行方不明。また教諭については当時、校内にいた11人のうち9人が死亡、1人が行方不明になった。校長は震災当時、外出して不在だった。

 保護者や住民らの証言では、児童は11日午後2時46分の地震直後、教諭らの誘導で校舎から校庭へ移動した。ヘルメット姿や上履きのままの子もいた。保護者の迎えの車が5、6台来ており、「早く帰りたい」と、泣きながら母親にしがみつく子もいた。

 同49分、大津波警報が出た。教諭らは校庭で対応を検討。校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。学校南側の裏山は急斜面で足場が悪い。そうした状況から、約200メートル西側にある新北上大橋のたもとを目指すことになった。そこは周囲の堤防より小高くなっていた。市の防災マニュアルは、津波対策を「高台に上る」とだけ記しており、具体的な避難場所の選択は各校に委ねられていた。

          ◇想定外◇ 

 午後3時10分過ぎ、現場に居合わせた男性(70)は、児童らが列を作って校庭から歩き出すのを目撃した。「教諭に先導され、おびえた様子で目の前を通り過ぎた」

 その直後だった。「ゴーッ」とすさまじい音がした。男性は児童らとは逆方向に走り出した。堤防を乗り越えて北上川からあふれ出した巨大な波が、学校を含む地区全体に襲いかかった。住民や男性の証言を総合すると、津波は児童の列を前方からのみ込んでいったという。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて男性と同様に裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。

(後略)






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子供を助ける為に最後の最後まで頑張ったのだ。




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by youmenipip | 2011-04-13 13:10
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