拉致されて4 北朝鮮招待所

拉致されて4 北朝鮮招待所

前回からの続き行きます
 前回↓ 拉致され3 病室での出来事
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拉致されて4 北朝鮮招待所

取り合えず手錠は外されました。自分は閉塞恐怖症になりそうなほどの狭い潜水艇の船倉に転がされました。寝転んだ自分に工作員はポリ袋一枚を放り投げました。自分は何とか会話出来る状況を作らないといかんと考え「おい!ゴミ袋に入って死ねってかい?」と言うと工作員は無言でドアを閉めようとしたので「おい!何か飲ませろ!喉が渇いた。」と言うと「マテ」と返事。おお?会話の余地ありか?ペットボトルが放り込まれました。

すぐに扉が閉まりました。扉の中央に小さな小窓があり「おい!俺を何処に連れて行くつもりだ?」「おい!ウリナラマンセー!」・・・・
返事無しです。

そうこうしていると自分を乗せた潜水挺は海上を走り出したようで,すぐに自分の体は上下左右に潜水艇の壁に激しく叩き付けられました。潜水艇は水中に潜ったようです。自分はすぐにポリ袋の使い用途を知りました。強烈な船酔いで自分の頭と目玉はグルングルン周り出しました。その後自分の胃がまるで雑巾を絞るような感じで絞られるような凄まじい吐き気がやって来ました。

真っ暗な室内で壁に打ち付けられ激しい嘔吐の状態の地獄が数時間続くのです。自分は「これを何も知らない横田めぐみさんが体験していたとなるとその恐怖は生きたまま地獄の底に落とされたようなもので”生き地獄”とはまさにこのとでは?!」と悟りました。自分達はマスコミやインターネットの情報でこのような北朝鮮の多くの蛮行を知っていました。知っていてでさえこのような環境は厳しいのに何も知らずに、このような地獄に落とされれば、その恐怖は察するにあまりあります。

このような凶悪犯罪を国家規模で日本人に行う悪の枢軸国とそれを支持する日本の旧社会党(現、社民党・民主党)ら、更に多くの日本人が拉致されていた中、80年代初頭から北朝鮮に多くの教師を金日成の崇拝とマルクス主義等の研修に行かせていた日教組等の工作機関の責任は相当重罪です。地村さん夫妻も北に拉致されている最中90年代には横田めぐみさんらと家族ぐるみで付き合いがあったと証言しているのです。
その頃日本ではその当時の日弁連(日本弁護士会)会長 土屋 公献(つちや こうけん)は拉致は日本側のデッチアゲで日本は第二次大戦時の償いをするべきだと反日を煽ってごまかしに励んでいた訳です。弁護士といった公平平等と正義感が何よりも必要な立場の者がこれでは話になりません。日本は鬼畜らが自由に犯罪政治活動を行い好き放題デタラメを言えるデタラメ国家であったわけでその鬼畜らの所業は現在も続いているのです。

・・・

潜水艇の地獄が数時間続きました。その後自分が乗った潜水艇はウインチで引っ張られているような音が聞こえて来ました。動きが止まり自分がいる船倉の扉が開きました。出ろと命令された自分はズタボロになりながら狭い船倉から這い出ました。船倉から剥い出た自分は周りを見ると別の船の船倉に居る様でした。自分が乗っていた潜水艇はワイヤーで固定されていました。工作員は自分にタオルと着替え、飲料水等を手渡し「暫く、この船倉で大人しくしていろ」と言いました。「自分をこれから北朝鮮の招待所に連れて行く。」と言うのです。

招待所 聞いた事があるネーミングです。 拉致された日本人の多くがその”招待所”に宿泊していると聞いた事があります。自分は今から横田めぐみさんをはじめ拉致被害者で死亡したとされる原敕晁さんや田口八重子さん増元るみ子さん有本恵子さんが生存している場所に行くのかと内心興奮しました。


数時間後に着いた港には多くの小型潜水艦や駆逐艦等が停泊していました。この後、軍用車両に乗せられ小さな幼稚園ほどの大きさの施設に連行されそこでシャワーを浴びろと言われ着替えを渡されました。


拉致被害者は招待所のゲスト

これに着替えろ!ワイシャツ背広ネクタイを手渡された自分はカタコトの日本語を話せる工作員がキム・ヨルソムだったかキム・ヨンソルだったかという名のその招待所の責任者に引き合わせると言っています。日本のネット右翼の大物として紹介すると言うのです。



実は敵の最大の脅威は ネット右翼

ネット右翼といえばインターネット掲示板やブログを使って愛国的な発言をしたり中国・韓国・北朝鮮に対して不利な事や差別的な発言を書き込む存在として少し前までは小ばかにされていた時期がありましたがそれがインターネットを通じて仲間を集め外で政治活動を行うので徐々に小ばかに出来なくなっていたのです。小ばかにするどころか日本人が敵に対してリアルで反撃するのはこの集合体が主流になっており徐々に脅威になっていたのです。

自分は早くからマークされていたのですが、自分はあそこの人間というのもあり手が出し難い存在であったわけですが今回遂に御用となったのです。自分を拉致した工作員も己の手柄を大きくしたいのか自分よーめんという存在を格上に持ち上げようとしていました。それは拉致されたある頃から自分に対する態度が客を扱う態度に変わって行くのを感じていたのです。

シャワーを浴び着替えた自分は普通の乗用車で連行されました。着いた先は大きな小学校ほどの施設です。大きな広間に通された自分が目にしたのは部屋の奥にある金日成と金正日の巨大な肖像画でした。「何だここは?」途方にくれていると。小柄な男が現れ部屋の壁際にずらっーと並んだ応接セットの一つに座るように言いました。自分に対してカタコトの日本語を使うこの輩は「貴殿は暫くの間この施設で生活をし朝鮮人化教育を受けて貰う」と言うのです。目の前で信じられない事を抜かすこのアホウはここの責任者らしいのですがこのアホウは更に「ハングルをしっかり勉強し覚えればこの施設からも出れるので頑張りなさい」とまで抜かしたのです。

このキチガイの説明はまだ続きます。
説明のほとんどを覚えていないのですが、「午前中はハングルの授業を受け午後から二時間思想教育を受ければ後は何をしていても自由」というのです。「食事は一日3回食堂でとり、図書室や娯楽室、映画館等が自由に使える」というのです。「図書室には君らが好きなインターネットの出来るPCもあり全世界のサイトが検閲無しで閲覧できる」と誇らしげに言ったかと思えば「君らが得意な”カキコミ”は出来ない」と抜かしたのです。何を言ってるんだかこいつ。

輩は応接テーブルの上に自分が寝泊りするという部屋の鍵と教科書のような物を置き差って行きました。本の表紙には気持ちの悪い文字が10ほど並んでいました。それと施設の見取り図です。施設には自由に出入りできる場所と絶対近づいてはいけないという場所が敷地内にあるのです。その場所は○○区域と言われる場所で×のマークが付いています。
○○区域?! 自分はそこが無性に気になりつつ次回につづく。




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ペクリョン島近隣には4カ所の北朝鮮海軍基地がある。北側には人民軍西海艦隊司令部がある南浦(ナムポ)沖のビパゴッ基地とチョド基地があり、南側には北朝鮮海軍第8戦隊の母港サゴッ基地とヘジュ基地が布陣している。
参項サイト
http://japanese.joins.com/article/525/128525.html
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by youmenipip | 2013-11-28 17:15
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