わたし拉致され5 どす黒い濁流の中へ

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わたし拉致され4 北朝鮮招待所
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わたし拉致され5 どす黒い濁流の中へ
自分は小さい頃からよく母親と自宅の近所にある”旋回橋”を見に行きました。旋回橋というのは大型船舶が海から河口の港湾に出入りする時に河口に掛かった橋が船の頭上に引っ掛かる等で通行できない場合は橋そのものを90度に旋回させる大規模な仕掛けがある橋の事です。

今日も自分は母親と共にそれを見に来ていました。
自分はその日、テレビのニュース番組で日本の政治家が近隣諸国に配慮をしない発言をした(日本は昔、悪い事だけで無く良い事もした等と言った)として解任されたという報道番組を母親と見ていました。番組内でニュースキャスターが韓国に”謝罪せなあかん”等といきり立っているシーンが特に印象に残りました。

自分は母親に「何故日本人はいつも謝罪しているの?」と聞いたのです。子供心にも気になっていたからです。母親は「悪いことをしたら謝るのは当たりまえでしょ」と言いました。その後、一呼吸置いてから母親は息を呑むようにこう言いました「でも、絶対にしてはいけない事は、悪くも無いのに謝罪してはいけないのよ」と言いました。意味が分かるような分からないような流れに戸惑いながら数メートル下の河口付近のいつもより早い川の流れを見ていました。

さあ,そろそろ帰ろうとなった時、自分と母親は堤防の橋の根元付近の鉄板を敷いた部分を通りました。前日の雨で滑り易くなっており更にその一部分は運悪く斜めになっており母親はそこで運悪く滑って堤防下の一段、段差がある部分に落ちてしまったのです。そこは普段は水が来ていない場所のはずですが前日からの雨で川の水位は上がり更に波も荒かった事もありそこは定期的に激しい波が打ち寄せる危険な場所になっていました。大型船舶も通る為に水深も深く濁流の一部分は渦を巻いている箇所もあります。

母親は堤防沿いにしがみ付き上がろうとすれども前日の雨で手が滑りなかなか這い上がれないのです。そこで自分は手を差し伸べ上げようとしたのですが。子供の力ではなかなか上がらないのです。

状況は思ったほど甘くなく、波は2波3波と容赦無く打ち付けて来ました。一瞬でも手を離すと濁流の中へ引きづりこまれてしまいます。数秒後このままでは自分も落ちてしまうと二人が気付いたその時、母親の顔は一瞬優しい表情になり自分を見て「もういいから手を離しなさい」と言いました。手を離し濁流状態になった川に落ちればすぐそこは泳げる泳げない関係無しに人間は渦巻きの中に巻き込まれてしまいます。絶対に手を離すもんかとこらえていたら母親は強引に手を離したのです。

みるみるうちに どす黒い濁流の中へ呑まれ、大きな渦の中に引きづり込まれる母親の顔はこちらを見ながら最後まで優しい表情をしていました。しかしその後、悲しい顔になり、すぐにギョッとした恐い顔になりやがて鬼の形相になりこちらを睨み付けたのです。次に自分を拉致した工作員どもの顔に変わったのです。ギャーーっ!と叫び、目を覚まし飛び起きました。夢を見ていたのです。ウワーーー!と号泣です。このような夢を毎日見ているのです。

悪夢に目覚め飛び起きたのは北朝鮮招待所の日本人用宿舎の自分用に用意された部屋のベットです。汗だくにになった自分は昨晩のことを思い出しました。



招待所の責任者キム何とか氏から部屋の鍵を貰い別館二階の自分用の部屋に行きました。ビジネスホテルのような作りになっており風呂トイレはユニットバスになっていました。少ししてインターフォンで夕食だから隣の本館1階の食堂に来いと呼び出されました。食堂に行くとすでに十数人が食事をしていました。日本人だけでは無いようです。この人達も拉致されて来たのだろうか?と考えながらバイキングになっている料理を貰いに行きましたが自分の食べられる料理はありません。仕方が無しに”混ぜご飯”のような物だけを食べていました。

すると怪しい音楽が聞こえ出したかと思えばチマチョゴリを着た婆さん達が現れ音楽と共に踊りを始めたのです。これは一体何のマネだ?テーブルの前の方では明らか朝鮮顔の輩らが酒のような物を飲みヘラヘラと談笑しています。あとで分かったのですがここの職員達でした。本能的にこの人達と仲良くしとかないといけない。と考えていると一人の職員が酔っ払いながら近づいて来ました。

「君はアジア顔だがどこから拉致されて来たんだね?韓国?中国?それとも?」と酔っ払いながら、はじめハングルで次に英語で聞いて来ました。黙っていると。「君は日本人かね?」とカタコトの日本語で言ってきました。黙っていると。「珍しいな~日本人は」と。「まあすぐに慣れるさ」と。


そのうちにチマチョゴリを着た婆さんらが70年以上前の”日本経済援助時代”(奴らが言うには日帝植民地時代に)に禁止したはずの乳出しルックで現れ踊りを始めたのです。かなり下品だ。しかし職員はニヤニヤと一人の婆さんを呼び自分に言いました。「これ等はどうだね?」と。冗談じゃねえ。「いやいや」と手を振る。「この人達とは文化が違いすぎる。どうやって付き合えと・・・」でも、ここではこの人達と会話出来る関係を作っていかねばならない。どうすればいいのか?

次回は ”金日成軍事総合大学”で拉致被害者日本人講師によるハングル講座 







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旋回橋イメージ
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優秀なスパイ いわゆる工作員を育成する金日成・金正日軍事大学前で
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これまでの流れ↓

わたし拉致されました1
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わたし拉致されました2 日本の”日の出”を見る為に
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拉致されて3 病室での出来事
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拉致されて4 北朝鮮招待所
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by youmenipip | 2013-12-08 13:56
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