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拉致されて4 北朝鮮招待所

拉致されて4 北朝鮮招待所

前回からの続き行きます
 前回↓ 拉致され3 病室での出来事
 http://youmenipip.exblog.jp/20896793/


拉致されて4 北朝鮮招待所

取り合えず手錠は外されました。自分は閉塞恐怖症になりそうなほどの狭い潜水艇の船倉に転がされました。寝転んだ自分に工作員はポリ袋一枚を放り投げました。自分は何とか会話出来る状況を作らないといかんと考え「おい!ゴミ袋に入って死ねってかい?」と言うと工作員は無言でドアを閉めようとしたので「おい!何か飲ませろ!喉が渇いた。」と言うと「マテ」と返事。おお?会話の余地ありか?ペットボトルが放り込まれました。

すぐに扉が閉まりました。扉の中央に小さな小窓があり「おい!俺を何処に連れて行くつもりだ?」「おい!ウリナラマンセー!」・・・・
返事無しです。

そうこうしていると自分を乗せた潜水挺は海上を走り出したようで,すぐに自分の体は上下左右に潜水艇の壁に激しく叩き付けられました。潜水艇は水中に潜ったようです。自分はすぐにポリ袋の使い用途を知りました。強烈な船酔いで自分の頭と目玉はグルングルン周り出しました。その後自分の胃がまるで雑巾を絞るような感じで絞られるような凄まじい吐き気がやって来ました。

真っ暗な室内で壁に打ち付けられ激しい嘔吐の状態の地獄が数時間続くのです。自分は「これを何も知らない横田めぐみさんが体験していたとなるとその恐怖は生きたまま地獄の底に落とされたようなもので”生き地獄”とはまさにこのとでは?!」と悟りました。自分達はマスコミやインターネットの情報でこのような北朝鮮の多くの蛮行を知っていました。知っていてでさえこのような環境は厳しいのに何も知らずに、このような地獄に落とされれば、その恐怖は察するにあまりあります。

このような凶悪犯罪を国家規模で日本人に行う悪の枢軸国とそれを支持する日本の旧社会党(現、社民党・民主党)ら、更に多くの日本人が拉致されていた中、80年代初頭から北朝鮮に多くの教師を金日成の崇拝とマルクス主義等の研修に行かせていた日教組等の工作機関の責任は相当重罪です。地村さん夫妻も北に拉致されている最中90年代には横田めぐみさんらと家族ぐるみで付き合いがあったと証言しているのです。
その頃日本ではその当時の日弁連(日本弁護士会)会長 土屋 公献(つちや こうけん)は拉致は日本側のデッチアゲで日本は第二次大戦時の償いをするべきだと反日を煽ってごまかしに励んでいた訳です。弁護士といった公平平等と正義感が何よりも必要な立場の者がこれでは話になりません。日本は鬼畜らが自由に犯罪政治活動を行い好き放題デタラメを言えるデタラメ国家であったわけでその鬼畜らの所業は現在も続いているのです。

・・・

潜水艇の地獄が数時間続きました。その後自分が乗った潜水艇はウインチで引っ張られているような音が聞こえて来ました。動きが止まり自分がいる船倉の扉が開きました。出ろと命令された自分はズタボロになりながら狭い船倉から這い出ました。船倉から剥い出た自分は周りを見ると別の船の船倉に居る様でした。自分が乗っていた潜水艇はワイヤーで固定されていました。工作員は自分にタオルと着替え、飲料水等を手渡し「暫く、この船倉で大人しくしていろ」と言いました。「自分をこれから北朝鮮の招待所に連れて行く。」と言うのです。

招待所 聞いた事があるネーミングです。 拉致された日本人の多くがその”招待所”に宿泊していると聞いた事があります。自分は今から横田めぐみさんをはじめ拉致被害者で死亡したとされる原敕晁さんや田口八重子さん増元るみ子さん有本恵子さんが生存している場所に行くのかと内心興奮しました。


数時間後に着いた港には多くの小型潜水艦や駆逐艦等が停泊していました。この後、軍用車両に乗せられ小さな幼稚園ほどの大きさの施設に連行されそこでシャワーを浴びろと言われ着替えを渡されました。


拉致被害者は招待所のゲスト

これに着替えろ!ワイシャツ背広ネクタイを手渡された自分はカタコトの日本語を話せる工作員がキム・ヨルソムだったかキム・ヨンソルだったかという名のその招待所の責任者に引き合わせると言っています。日本のネット右翼の大物として紹介すると言うのです。



実は敵の最大の脅威は ネット右翼

ネット右翼といえばインターネット掲示板やブログを使って愛国的な発言をしたり中国・韓国・北朝鮮に対して不利な事や差別的な発言を書き込む存在として少し前までは小ばかにされていた時期がありましたがそれがインターネットを通じて仲間を集め外で政治活動を行うので徐々に小ばかに出来なくなっていたのです。小ばかにするどころか日本人が敵に対してリアルで反撃するのはこの集合体が主流になっており徐々に脅威になっていたのです。

自分は早くからマークされていたのですが、自分はあそこの人間というのもあり手が出し難い存在であったわけですが今回遂に御用となったのです。自分を拉致した工作員も己の手柄を大きくしたいのか自分よーめんという存在を格上に持ち上げようとしていました。それは拉致されたある頃から自分に対する態度が客を扱う態度に変わって行くのを感じていたのです。

シャワーを浴び着替えた自分は普通の乗用車で連行されました。着いた先は大きな小学校ほどの施設です。大きな広間に通された自分が目にしたのは部屋の奥にある金日成と金正日の巨大な肖像画でした。「何だここは?」途方にくれていると。小柄な男が現れ部屋の壁際にずらっーと並んだ応接セットの一つに座るように言いました。自分に対してカタコトの日本語を使うこの輩は「貴殿は暫くの間この施設で生活をし朝鮮人化教育を受けて貰う」と言うのです。目の前で信じられない事を抜かすこのアホウはここの責任者らしいのですがこのアホウは更に「ハングルをしっかり勉強し覚えればこの施設からも出れるので頑張りなさい」とまで抜かしたのです。

このキチガイの説明はまだ続きます。
説明のほとんどを覚えていないのですが、「午前中はハングルの授業を受け午後から二時間思想教育を受ければ後は何をしていても自由」というのです。「食事は一日3回食堂でとり、図書室や娯楽室、映画館等が自由に使える」というのです。「図書室には君らが好きなインターネットの出来るPCもあり全世界のサイトが検閲無しで閲覧できる」と誇らしげに言ったかと思えば「君らが得意な”カキコミ”は出来ない」と抜かしたのです。何を言ってるんだかこいつ。

輩は応接テーブルの上に自分が寝泊りするという部屋の鍵と教科書のような物を置き差って行きました。本の表紙には気持ちの悪い文字が10ほど並んでいました。それと施設の見取り図です。施設には自由に出入りできる場所と絶対近づいてはいけないという場所が敷地内にあるのです。その場所は○○区域と言われる場所で×のマークが付いています。
○○区域?! 自分はそこが無性に気になりつつ次回につづく。




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ペクリョン島近隣には4カ所の北朝鮮海軍基地がある。北側には人民軍西海艦隊司令部がある南浦(ナムポ)沖のビパゴッ基地とチョド基地があり、南側には北朝鮮海軍第8戦隊の母港サゴッ基地とヘジュ基地が布陣している。
参項サイト
http://japanese.joins.com/article/525/128525.html
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by youmenipip | 2013-11-28 17:15

拉致されて3 病室での出来事

拉致されて3 病室での出来事

拉致されて3 病室での出来事

(前回からのつづきです)前回↓
 拉致され2 ”日の出”を見る為に
http://youmenipip.exblog.jp/20875122/


自分は大きな総合病院にもう何年も入院しいる母親の所に来ていました。病状の悪化とは裏腹に終止元気そうに振舞う母親に自分は仕事が終わってから、元気を貰う為にいつも来ていました。ある日自分は母親に「お母さん。北朝鮮がまた日本に向けてミサイルを撃つと言っているよ!」と言いました。母親はガっと目を開いて「撃てるもんなら撃ってみろ」と、力強く言いました。横田めぐみさんら日本人拉致事件やミサイル問題の事はテレビで見て知っているはずですし何より自分の強き愛国心はここから来ているのでした。

母親は「日本は甲斐性が無いな~。すぐにでもやっつけに行けばいいのに・・・」と言いました。それが母親の口癖でした。その日はいつも以上に興奮気味に言っていました。

その数日後、深夜に病院から「病状が悪化したのですぐ来てほしい」という連絡を受けました。病室に入ると、もう意識は無く人口呼吸器に繋がれたは母親の息は苦しそうで機械の手助けが無ければ呼吸が止まってしまうというのです。数十分後、脈拍が急激に上がったり下がったりを数度繰り返し徐々に脈拍が無くなって行くのでした。長い間自分にエネルギーを与えてくれた母親は自分の目の前で息をひきとろうとしていたのでした。

「人間いつかは死ぬもの,こういう時が来るのは仕方が無い」と言い聞かせてはみても、たった一人の肉親が居なくなる事は自分が一人になってしまうことで、さすがに耐えられませんでした。前回こういう事があった時は奇跡的に息を吹き返し生還したので今回もそうだろうと安易に考えている自分がいました。しかし今回、看護婦は無情にも「お気の毒です。」と言う言葉と共に合掌をして顔に白い布をかけ去って行きました。

唖然とした自分はこみ上げて来る絶望感と寂しさに打ちのめされました。自分は途方にくれ、そして考えました「これで自分の身に何かあった時、心配したり悲しんだりする身内は一人もいなくなった。自分は好きなように暴れ好きなように死ねる。後悔の無い生き方をしよう」と、考えが纏まって行きました。それは左翼の粛清を意味していました。失う者が無い者、心配する家族が無い者はいかに恐いかお見せしよう。と強く言い聞かせました。


・・・・

車の中で手錠を掛けられ動けなくなった自分はうつらうつらとしながらその時の病室での出来事の夢を見ていたのです。車の動きはガタガタと激しく揺れて来ました”何処を走っているのだろうか?”と、最近ほとんど寝ていなかった自分は急激に襲って来る睡魔と戦いながらうつらうつらとする眠りの中で感じていました。その時、○○!○○!(自分の下の名前)を呼ぶ母親の声が聞こえたような気がしハッとなって起きました。車の外を見ると車は海岸線沿いの草むらの中のデコボコ道を走っているようです。どこに連れて行こうというのだ。

着いたところは数メートルほどの小さな防波堤でした。このまま車ごと海に突き落とそうというのか?そうこうしていると防波堤の海側に大きさが数メートル程度の黒い物体がせり上がって来ました。車一台分位のボート形の半潜水艇です。防波堤では無く漁師さん用の小さな船着場でした。半潜水艇というのは潜水艦とは異なり一見、船のような形をしているのですが水中に浅くですが潜ることが出来るのです。

朝鮮語訛りの強い覆面の輩が車のドアを開け自分に下りろと命令しました。さすがに自動小銃を突きつけられれば従うしかありません。そしてこの船に乗れと命令して来ました。「何だ、これ?あれじゃねえか?!」「横田めぐみさんもこうやって拉致したのだろうか?」その半潜水艇の狭い船内に押し込められた自分は不安よりその後の船酔いに苦しめられたのでした。「何処に連れて行くつもりだ。北朝鮮かいな。」沖で大きな船に乗り換えさせられました。もう奴らは日本語は使っていませんでした。

車から脱走した我々に対して奴らは銃で撃って来た訳ですが。こやつらなら有り得たのです。仲間のワゴン車で逃げた我々はタイヤを撃たれパンクし全員呆気なく捕獲されていたのです。

小泉政権時に九州沖で不審船を追跡する事件がありました。追跡中に不審船は海上保安庁の船を機関銃で撃ったりロッケット砲を撃ったりし、最後自爆しその後船を引き上げれば中から自動小銃やロケット砲等がわんさか出て来ました。船倉にはこの半潜水艇も積んでありました。日本にこの半潜水艇で忍び込み偽札や覚醒剤等の他にそのような武器類も入れていたのです。そして帰りにお土産として日本人を拉致していたのです。

殺すならとっくに殺されているはず、となれば北朝鮮行きか?!同時に拉致された仲間はどうなったのか?

続きは次回で。
次回 いよいよ北朝鮮 横田めぐみさんと対面か?! 

次回;拉致され4 北朝鮮招待所
http://youmenipip.exblog.jp/20981539/


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不審船事件動画
http://www.youtube.com/watch?v=CxU_FtAjQx0

半潜水艇 wikiiより
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by youmenipip | 2013-11-21 06:36

わたし拉致されました2 ”日の出”を見る為に

わたし拉致されました2

わたし拉致されました2 日本の”日の出”を見る為に


前回からの続き 前回↓
第一話;わたし拉致されました
http://youmenipip.exblog.jp/20851919/


11月のある日、我々は山頂で”日の出”を見る為に片道二時間程度の山登りを企画しました。この日参加する事が出来た我々日極会隊員は普段の訓練より少し多めの18名。その18名は山頂で日の出を拝む為に深夜早朝から行動をスタートし二時間かけ予定通り日の出30分前に山の頂上付近に到着しました。登山や山登りというより単に山歩きハイキングやお散歩といっても良いほどの楽なコースで最近訓練をしていなかった我々には丁度良い運動でした。

山の頂上付近では各自水筒のお茶を飲む者、ペットボトルのドリンクを飲む者、隊員らは山登りを終えた達成感を味わっていました。普通の登山客と異なるのは我々は全員迷彩服を着込んでおり更に背中には実銃と同じ重さに作られたという八九式小銃のエアライフルとその関連装備を背負っている事です。迷彩服で機関銃を背負った我々の井出達は他の登山客からは異質に見えるはずですが我々隊員はすでに慣れっ子になっており世間体等は,お構い無しです。山登りにはやや季節外れの時期の為に他の登山客は少なく自分達は自分達専用の訓練場のように過ごしていました。

背中に背負ったのは銃だけでは無く関連装備や水筒、食料、雨具等を入れたリュックそれら全部を含めると重さは6キロ近くにはなっているはずです。その重さは決して重くは無いのですがこの日我々はまるで一トンもの重りを背負わされた囚人のごとく苦痛にあえいで登山をしていたのです。普段背中にマシンガンを背負い長時間歩く事が無い我々にとっては不自由な登山だったはずですが歩き難かったのはそんなレベルの話では無いのです。


隊員全員が気付いていることは。マスコミが敵工作機関に支配されていること。すでにこの国は敵の支配下にある事。国民はそれに気付かず敵のプロバガンダに手名付けられていること。それはマインドコントロールをかけられた信者と同じ状態になっていること。これらと。あの忌まわしい誘拐拉致事件が隊員の背中に無言の重圧となって伸し掛かっていたのです。

あの拉致事件から1ヶ月近く経った今日、あの事件があった直後の事もあり普段の訓練より多く集まった我々日極会隊員はあの事件を教訓に、隊の結束を固め今後の決意を示す為に朝日に向かい山頂を目指したのです。



日の出数分前に我々隊員全員は日の出の方角に向って整列しました。太陽が徐々に山々の間から姿を現し薄いオレンジ色の光が徐々に濃くなりやがて我々18名は赤く輝く聖なる光に包まれたのです。私はその様子を写真と動画に撮る為に後方の少し高い岩の上に移り朝日を浴びた隊員と山々の状況を眺めました。

隊員は、全体敬礼!の合図と共に少し長めの敬礼をしその後”1分間黙とう”の号令が掛かり黙祷しました。周囲の紅葉を終えた草木は茶色に染まり冬支度の準備に入っているようでした。それが聖なる光を浴びた草木、草花は息を吹き返したように輝きそれらの輝きは朝日の光のエネルギーに倍増され日極会隊員を包み込んだのです。わたしは三脚に固定されたカメラからその光景を見て 「この国は美しい。この国に生まれて良かった。」わたしは心の底からその美しさを感じていました。

と、同時に下界の状況を思い出すと私の心は今にも泣き出しそうな心境になるのです。美しいのは地球誕生から数十億年変わらない太陽の光を浴びた地上の風景と自然の草花だけでこの国の中身は決して美しくはない、汚れている。

私は地上の光景を思い出していたのです。地上では刺青を見せびらかしたチンピラがあいも変わらず一般市民の愛国者のデモを暴力で脅している。それが警察公安黙認で行われている。マスメデアは敵国援護のそのチンピラを非難するどころかまるで英雄でも現れたかのように紹介する。暴力を煽ってさえもいる。もはやこの国は一部の国の裏支配が表に登場し堂々と表支配になってしまっている事に、この国はもう終わっている事を認めざる得ない状況になっている事に私の心は美しいはずの朝日を眺めながら他国に汚されたこの国を憂いて泣いていたのです。


さて前回の続きですが。(実話です)
 前回↓わたし拉致されました
http://youmenipip.exblog.jp/20851919/

あの時!
あの時とは「自分の目に真っ赤に焼けたナイフの刃が迫っていた」あの時です。


ピンポーン!と、倉庫の入り口にあるテレビカメラ付きインターホンを誰かが押したようなのです。モニターを見ると二名のお巡りさんが映っています。何故ここが分かったのか?!

携帯電話で警察や救急に電話した事がある人ならご存知のように携帯電話から警察や救急に通話するとGPSの現在地測位確認システムとやらでカーナビのようにピンポイントで居場所の現在地が警察のPCの地図に表示されるようになっているのです。故に今は現在地を仮に言わなくても救急車やパトカーはすぐに来るのです。

カーチェイス誘拐拉致は白昼堂々公道で行われた事により当然誰かの110番通報がありました。そして当会の他の幹部からの通報で自分がそこで誘拐拉致された事は警察が把握し捜索しておりました。そこでその一番の捜索方法が携帯電話の発信電波での位置確認なのです。自分もそれを知っており誘拐拉致されてこの現場に連行されるまで携帯の電源を入れ何処か適当に発信したり消したりしていたのです。

警官の顔を見て身の危険を感じた敵工作員は拉致された自分と自分の仲間一人を連れて裏口から我々を車に乗せ逃走しました。

裏口から引きずられるように車に乗せられた我々はまた別の場所に移動させられるようです。移動の為に両手両足のロープをイスから外された我々はいくぶんか身動きが取れるようになっていたのです。自由になったことで自分は徐々にやる気満々な気分になって行ったのです。

我々二名は後部座席に乗せられていたのですがその後部座席の一番左側に我々を見張る役の朝鮮ヤクザが座っていたのですが、私はどうやってその朝鮮ヤクザを絞め殺すかを考えていました。腕には中途半端に巻かれたロープがあります。逃げる時に巻かれたのですが焦っていたのか今にも外れそうなのです。

自分はこのロープで一気に隣の鮮人を絞め殺す事にしました。後はどのタイミングで絞め殺すかですがそのタイミングはすぐ来ました。自分達を乗せた車の左横にもう一台朝鮮ヤクザの車が並行して走っているのですが。その運転手は我々を拉致した時と同じように黒い目出し帽を被っているのです。私の隣座席の朝鮮ヤクザがその運転手をチラッと見た時に隣を走っていたその車の運転手がいきなりおもむろに黒い目出し帽を取ったのです。するとそこに現れた顔は顔全体に迷彩メークをしていたのです。その迷彩メークをした奴がこちらを見てニターと笑ったのです。そいつは紛れも無い当会、日極会の隊員でした。車は朝鮮ヤクザの車の他に当会の車が普通の一般車のような素振りで走っていたのです。

私の横でそれを見ていた朝鮮ヤクザは何処の誰だか分からない変な顔を見てなんだ-?とビックリしています。チャンスはここでした。わたしは隣でビックリしているその朝鮮ヤクザの首にヒョイとロープと足を掛け渾身の力を込めムギュ~!と絞めました。グエェ ~ ~。それを見た同士もここぞとばかりに前方で運転している朝鮮ヤクザの首にロープをかけ絞め上げました。グエ~!助手席の朝鮮ヤクザがそれに気付きました。

何してやがる!と助手席の朝鮮ヤクザは隣で運転している朝鮮ヤクザを絞め上げている日極会同士の顔を警棒のような物で叩き始めました。ガツンガツンガツン。一撃二撃三撃。同士は警棒で叩かれる度に顔が腫れついには額が割れ血が吹き出しました。彼はそれでも絞めるのを死んでも止めないつもりです。ザクザクに割れた顔の同士は更に力を入れやすいように首に両足を絡ませ鬼の形相で一気に右に捻りました。ベキっ!妙な角度に折れ曲がった首の朝鮮ヤクザの顔は目が飛び出し口からは舌が飛び出していました。車 は左の路肩から一気に進路が外れ左横の工事現場の駐車場に飛び込みました。目の前には大型のダンブカーが停まっていました。首がへし折れた運転手を乗せた車は一直線にダンプカーに向っています。同士を警棒で叩いていた助手席の朝鮮ヤクザは「車を止めろー!」と叫びましたが凄い勢いで突っ込みました。ズドーーン!助手席の朝鮮ヤクザはズダーンという音と共にフロントガラスに顔を突っ込みました。めりっ!朝鮮ヤクザの顔はフロントガラスにめり込んで車は止まりました。

我々二人は首を絞めていた朝鮮ヤクザどもを盾にして衝撃を少なくしていたので瀕死の重傷を負いながらも何とか無事でした。我々は車から這い出ました。そこへ丁度我々を助けに来た同士達の車が到着しました。同士の車に乗り込み再開を喜ぶ間も無くすぐに車は走りその場を去りました。

再会を果たした我々は車の中でどうしてここが分かったかを念の為に聞きました。自分は分かっていました。自分達の携帯電話は携帯電話メーカーが行っているGPSを使った携帯電話現在地測位確認サービスに加入しており互いの居場所はリアルタイムで自分達の携帯の地図サイトにカーナビのように表示されていたのです。このような高性能なサービスが携帯一台に付き月に数百円程度の会費で出来る時代になっていたのです。子供や痴呆老人の徘徊を携帯GPS機能を使って探すサービスと同じです。警察が探知するより早く当会がピンポイントで居場所を突き止めていたのです。何故ならこの機能は通話が無くとも契約している携帯の現在地を確認出来るのです。

我々は仲間の車に乗り込み再開を喜んでいたのもつかの間、車の両サイドと前後が敵の車に挟まれました。しかし今度は止まるわけには行きません。強引に車をぶつけ前方に出ました。車は大きめのワゴン車で体当たりするとこちらの車が大きいので敵の車は何度も路肩にはじき飛びました。

銃撃戦
そのうちに車はカキンカキン!カキューン!という金属音がして来ました。実弾が当たる音です。ついに彼らは撃って来たのです。たまにバス!バス!という鈍い音がしています。実弾が車の鉄板を貫通しシートに刺さって来たのです。まずい?! 奴らが機関銃を持っていれば我々は蜂の巣になる。
どうする、よーめん。物語はまたまた次回に。


続き↓わたし拉致され3 病室での出来事
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by youmenipip | 2013-11-18 10:54

わたし拉致されました。

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様々な方々からご心配のメールや電話を頂いていましたが当方今はようやく自由の身になりまずまず元気です。

ビックリするかも知れませんが。当方、わたし妖面と日極会幹部1名の2名は約1ヶ間某国の工作機関に拉致されていました。最近ようやく解放され本日皆様方にご報告出来るようになりました。

事が起きましたのは、先月10月13日午後3時頃の事です。拉致されたのは当会(日極会)の定例会ミーテングを追えた後の移動中ですがその拉致のされ方が尋常ではありません。その時の状況から説明します。そしてこれはすべて実話です。

先月10月13日午後2時過ぎに東京の某ホテル会議室を出た私と幹部7名は一人が仕事の為に帰り残った仲間6人で食事の為に3台の車で別に借りてある場所に移動することになりました。自分と幹部1名(ボデーガードを兼ねた)は食事の前に他の用事を済ませたいので仲間の車とは別々に移動することになりました。今にして思えばここに油断があったのでしょう。自分ら二名は自分が運転する車で環状8号線を東に向い走行しました。自分は環8に入った頃から数台の車が尾行しているのに気付きました。事件は尾行に気付いてすぐに起きました。自分は後方の車の動きを確認する為にスピードを上げ様子を見ようとしたところ後方を走っていた車の1台が急に猛スピードで自分の車を追い抜かそうと左に出て来ました。自分は片側二斜線の右側を走行していました。自分は追い抜かされる事に不安を感じとっさにスピードを上げハンドルを左に切り進路を妨害しその車の前に出ました。自分の不安は的中です。自分が左の車に気をとられている間にもう一台の車が自分の右から追い越しを仕掛けその一台はあっという間に自分の前に来ました。始めに仕掛けてきた左の車は自分の車の後ろにピッタリ張り付きました。右横には知らぬ間にもう一台の車が来ておりました。自分の車はあっという間にその3台の車(1台は黒のベンツ)に前と右横と後ろを挟まれ無理矢理停められたのです。この動き、この停止方法を実行するのには敵は徹底した訓練を行っていたはずです。これは訓練せず有り得る動きではありません。そうなると敵は何物なのか?こんな訓練を徹底して行う組織となると聞いた事がありません。まるでカーチェイスです。警察なのか? 

車を停止させられた途端その3台の車から黒い目出し帽をかぶった者がゾロゾロ降りて来ました。内2名が手に何かを持ちそれを前に出して自分らに手を上げて車から出ろ!といったようなジェスチャーをしているのです。手に持っている物は何かな?とその手をよーく見ると拳銃です。目の前で起きている光景は映画やテレビでも見ているかの状況で一種我が目を疑いました。拳銃なら自分も所持している、とっさに車のダッシュボードに手が行ったもののしかしそこに入っているのは東京マルイというオモチャメーカーの刻印がある電動エアガンです。勝てる訳が無い。いや待てよ?! こやつらも、もしやエアガンでは?と考えては見たものの白昼堂々国道で他の車全部を停止させこのような事をやってのける者が実はエアガンだったというオチは考え難い。(実際にすぐに本物であった事を知る更なる事件がいくつもありました)自分は「それエアガンだろう?」と言ってニヤッと笑ってみせたところ敵はバキューーン!と一発空に撃ちました。自分はガンマニアの為にそれは単なる発火タイプのモデルガンなのかそれとも実銃なのか音と薬きょうの撥ね方で分かります。特に実銃は薬きょうの撥ね方が強力なのです。自分は今、目の前で起きている問題の重大性をこの時にようやく悟りました。これは映画でもゲームでもない。よーめんのこのブログの事も自分はよーめんだと言う事もすべて頭から切り捨てました。自分は一人の政治活動家であり今自分は日本の闇と遭遇したのだと強く言い聞かせました。そこで自分達は手を上げて車から出る事にしました。そして彼らの誘導通り彼らの車に乗り誘拐されました。が自分はこの時点でもまだ敵は何者かが把握出来ていませんでしたし敵を甘く見ていました。

実はこの事件の起きる少し前から当会幹部や自分に対して脅迫めいた文章が何度も届いていた訳です。内用は自分に政治活動を辞めろと言うのです。辞めなければ命の保証は無いと。相手は何物かというと後で分かったのですが相手は祖国統一青年同盟

自分が今手掛けている政治活動を辞めろと言うその手掛けている政治活動とは今はまだ詳しくは申し上げられませんが今回、日本の巨大組織を壊滅させる決定的な証拠を掴んだわけですが相手の規模が大きく当会だけで立ち向かえる規模では無く様々な方々、組織と協力しながら細心の注意を持って慎重に進めていました。この闇を公の場に晒し大量の逮捕者を出せば世論は黙ってはいない。悪の枢軸から分裂した社民党、民主党は解散になる。自民党議員も一部混じっている。そうなると当然自分の命の危険はある。それだけに今回のカーチェイス誘拐拉致騒動の危険は充分に考えられたのです。

敵の車に乗り込むと我々二名は目隠しをされ車は一時間ほど走りました。到着したのは後で分かったのですが東京の海岸線沿いにある倉庫です。アクション映画やサスペンスドラマでよくあるシチュエーションです。自分はその倉庫に連行され上半身と足首をイスにグルグル撒きに縛られたところで目隠しを外されました。

このギャング映画もどきの敵の行動に内心アッパレと思いつつもここまで来ればさすがに恐怖を感じます。ここまでやれば敵はもう引き下がる事は出来ません。これはあきらかに重大犯罪です。

待っていたのは鉄パイプによる洗礼

目隠しを外された我々は怪しい日本語を使う黒覆面の輩数名に尋問を受けながら木刀、鉄パイプでボコボコに殴られるのですが奴らはしきりに黒幕は誰だと片言の日本語で聞いて来るのです。一発殴ってはバックは何処だ!一発殴っては誰の指示だ!と。奴らもこちらの組織の壊滅を考えているのです。

奴らはガスバーナーを用意しナイフの刃にガスバーナーの炎を当てナイフの刃を熱しました。ガスバーナーで焼けて真っ赤になったナイフを持った輩は自分に「オマエに肉の焼ける音を聞かせてやろう!」と言って隣で縛られている仲間の顔に近づけました。この光景は何処かで見たシーンだぞ?こ、これは以前に映画ランボーで見たシーンではないか?と考えているとジュー~という音と共にギャーという叫び声が上がりました。自分は「止めろ!やるなら俺にやれ!」とお決まりのセリフを言うべきかどうかを考えていると今度は真っ赤に焼けたナイフの先を仲間の目に突き刺さそうとしています。こうなるとこの不甲斐の無い日本政府の為に仲間を犠牲に出来ない。自分は「ま待て!わ、わかった!わかった!活動は辞める。何でも全部吐く」と言いました。残念ですが仲間の命には代えられません。すると仲間は「か会長~自分ならどうなってもいい。活動を活動を辞めないでください。」と死に死にになりながら訴えました。「おぉー!なかなか感動もののセリフだ」と感心していると黒覆面の一人の輩が「だーっとれこのチョッパリがあ!」と言い放ち仲間の腹に蹴りを入れました。ドスっ!グエ~。仲間は血ヘドを吐きながらも「か会長~!に,日本を日本を-…」と言っています。自分はいろいろ考え「分かった、そいつを逃がしその代わりに俺を殺せ!」と言いました。このクソのような日本政府に命を捧げるつもりは無いが。自分は自分の信じるものの為に生きてその為に死ぬ。自分は「俺をやれ!俺を先に殺せ!」と言いました。すると朝鮮語訛りの強い輩の一人が「ホーっ!オマエらの愛国心とやらはどれほどのものか見せてもらおうか!」と言い「オマエからやってやろう!」と真っ赤に焼けたナイフの先端を自分の目に突き刺さそうとして来ました。うわっ!アクション映画ではこういう場合、絶妙のタイミングで仲間の援護の銃声が聞こえるものですがやはりリアルでは無い。そのような助けはどこからも来ない。まさに絶対絶命。よーめんこの絶体絶命のピンチからいかに脱出したのか、この物語の続きは次回お楽しみに。

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つづきはここ
わたし拉致され2↓日の出を見る為に
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by youmenipip | 2013-11-15 09:35